【芸能】菊池桃子(56)が “信じ難い非礼” で大物作曲家を激怒させていた
1 ネギうどん ★ :2024/10/14(月) 12:20:55.76 ID:f17hCWlV9
(略)
「もう二度と菊池とは関わりたくない」
そんな菊池が“古巣”の芸能界で騒ぎを起こしているとの報せが入ってきた。さる音楽業界関係者が明*。
「最近、菊池は大恩人である作曲家の林哲司さん(75)を怒らせてしまったのです。林さんは『もう二度と菊池とは関わりたくない』 とまで話している」
確かに菊池にとって林氏は、その存在なくしてスターダムをなしえなかったといえるくらいの恩人だ。
デビュー曲「青春のいじわる」以来、「卒業-GRADUATION-」「もう逢えないかもしれない」「アイドルを探せ」などアイドル時代に出したヒット曲は全て林氏が手がけた。
あの頃、林氏に世話になった歌手は菊池だけではない。松原みきの「真夜中のドア」、中森明菜の「北ウイング」、杏里の「悲しみがとまらない」……。記憶に残るこれら「シティ・ポップ」と呼ばれる音楽は4年ほど前、約40年を経て国内外でリバイバルブームが起きたばかりだ。
世界にも名が知れ渡る音楽界の大御所を菊池はなぜ怒らせてしまったのか――。
話は2年ほど前にさかのぼる。
「新曲を出したいと考えていた菊池が林さんに作曲を依頼したのです。菊池は新原氏と結婚後、所属していた『パーフィットプロダクション』からすぐに独立した事情もあり、自ら直接連絡を取ったそうです。林さんは久しぶりの連絡に驚いたようですが、『桃ちゃんのためならやるよ』と快諾しました」(前出の音楽業界関係者)
そして22年7月、アイドル時代の曲に加えて35年ぶりのタッグで作った新曲2曲を収録したアルバム「Shadow」をリリースした。
このアルバムの制作時から、林氏は菊池に振り回されていたという。
「当初、林さんは作詞を、以前菊池の楽曲で組んだことのある二人の作詞家に依頼していました。しかし菊池が『自分で書きたい』と言い出したのです」(同)
だが、いくら待っても菊池は詞を送ってこなかった。しまいに、
「『やっぱりできません』と言い出した。急きょ、林さんは作詞家たちにまた依頼し直さなければならなくなり、恥をかかされた」(同)
とまれ無事アルバムは出来上がり、23年10月には二人でNHK「うたコン」にも出演。続けて菊池は林氏に、40周年事業でもプロデュースを依頼した。
そこで信じ難い非礼を重ねたのである。
「今年4月に発売された新曲3曲から成るEPの制作を林さんに依頼しておきながら、途中で菊池の個人事務所社長がお気に入りだというロックバンド『androp』のメンバーなどに変えた。結局は菊池のセルフプロデュースとなり、林さんがこのEPで関わったのは、菊池が作詞・作曲した1曲を編曲することだけでした」(同)
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